
神はそのひとり子であられるイエス・キリストをこの世に遣わされ、十字架上で私たちの罪の身代わりとして死なせるほどに、私たちを愛してくださった。それはイエス・キリストを信じる人が、だれであろうと滅びることがなく、救われるためである。
ヨハネによる福音書3:16(現代訳)
キリスト教ってどんな宗教なの? 聖書って、一体何を教えている本なの? あなたはそんな疑問をお持ちになったことがないでしょうか? 今日の聖書は、そんな疑問に端的に答えようとしているのです。かつて偉大な宗教改革者マルチン・ルターが、この聖書の一節を「小聖書」、つまり小さな聖書と呼びました。それは聖書全体のメッセージが、この一句の中に凝縮されているということです。そしてそのメッセージこそ、神がわたしたちを愛された、今もなお愛し続けてて下さっているということです。
「クリスチャンが『愛』だなどと言うのを聞くと、鳥肌が立つ。」と言われた方があります。確かに日本人は人前で「愛しています」などと言うことに戸惑いを感じますし、多くの場合、愛という言葉は好きだの嫌いだのといった、色恋の次元のことと考えられています。
ここで言う愛は、そうした好き嫌いの感情の問題ではなく意思の問題であり、その意思による決断と実行なのです。昔日本で最初に聖書の神を信じたキリシタンたちは、この「愛」の代わりに「大切」という言葉を用いたといいます。彼らは愛するとは、大切にすることだと理解したのです。そうです、神が私たちを愛してくださるとは、本当に私たちを大切に扱ってくださるということなのです。
でも問題は何処まで、大切にしてくださるというのでしょうか。「ひとり子を犠牲にしてくださったほどに」と聖書は告げます。神の愛は、愛のためには、自分の一番大切なものをも犠牲にすることをいとわないのです。
クリスチャン作家の三浦綾子氏は「塩狩峠」の主人公の生き方の中に、また「氷点」に登場する洞爺丸遭難事件で自分の救命具を渡して若い女性の命を救い、自分は船と共に沈んでいった宣教師の姿に、ひとり子イエス・キリストを犠牲としてまでも私たちを救おうとされた神の愛を示そうとしました。
神はあなたを愛しておられるのです。この事実はあなたの心に何を語るでしょうか。あなたにとって神は以前よりも身近な存在となったでしょうか。この神の愛をお受け取りください。
鈴木栄一牧師
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